4000人の人々の前で、26人の彼らは命を取られていきました。豊臣秀吉が、見せしめのために、そして、キリシタンを恐れさせるため、その西坂という丘の上でその処刑がなされたと言われています。なぜなら、やり長崎は、キリシタンが多かったから、さらに外から来る者たちのことも考えてです。
 私が、最初に、長崎に行ったのは、三十数年前でした。その頃は、その丘から港の方を見ると、はっきりと海が見えていました。ですから、400年前の当時も、船でくる外国からのものたちにも、はりつけで処刑された
26人の十字架がはっきりと船から見えたはずです。秀吉は、そうすることで、外から来る者たちも恐れさせようとしたと言われています。
 ところが、その西坂において、何が起こったかというと。十字架にはりつけられた26人の者たちの中には12歳、13歳の少年も含まれていましたが、彼らから始まって神に対する賛美がなされ、それは、4000人の人々の大合唱につながったと言われています。今、殺されようとしているその中で、賛美がなされ、はりつけにされている彼らには、恐れではなく微笑みががあったのです。そして、西坂はまるで天国が降りてきたかのような一時であったと言われています。
 このように言いますと、なぜ、そうだったことがわかるのか、400年前のことで、どうしてそう思うのか。語り継がれた、お話も創作ではないか。
 しかし、その26人の殉教の後の事実から、話が本当であったと推察されます。殉教後、たくさんのキリシタンが増えたのです。長崎でも、そして、日本全体においても。しかも、京都以北には、進められていなかった宣教が、この殉教後、進められていったのです。4000人の中には信じていなかった人も多かったにもかかわらず、信じる人々が多く起こされたと言われています。実際に、この後、キリシタンがたくさん増えた事実残っています。
 戦国時代から間もないこの時代、多くの人々がいくさで、苦しんでいた不安定な時代。今、命を奪われようとしている26人の人々をとうして、何が確かなものなのかが、この西坂で、明らかにされていったのです。その歴史が、この丘には刻まれているのです。
 今年も、殉教記念の聖会と、殉教記念のツアーがあります。