この映画の中で、祈る場面が、出てきます。
崩壊したビルの下じきになって、生き埋め状態の二人。二人とも、足や体が挟まれて身動き取れず、しかしある程度の隙間は、あって、お話しはできるという状態。二人で、励ましあって、でも、眠ったら死ぬかもしれないという極限状態です。
 ところが、そのような状況の中で、急に火が近づいてきたり、あるいは、ビルの崩れた残骸の中に下敷きになっているのですが、急に轟音がしてさらに崩れてきたり、もうそれは恐ろしい生き地獄の状態。その時に、主の祈りを、唱える場面が出てくるのです。
 主の祈りというのは、イエスキリストが、弟子たちに、このように祈るのだとお手本の祈りを教えてくださったもので、多くの教会で、祈られているものです。よく礼拝でも、声を合わせて、ともに唱えたりするものです。
 その中で、奇跡的に彼らが轟音の中でも守られるのです。
 彼らは、どうすることもできなくて、必死にとっさに祈るのですが、その祈りが聞かれて、彼らは守られます。でも、ある方々は、「そんな目にあって、守られてなんかないじゃないか、」といいそうですが。
 悲惨な状況の中にあっても、彼らは守られたと思います。それは奇跡です。神が働いていたからこそ、そのような状況でも、発見され、救出の手が入り助かったんだと思います。
 私たちは、神が働いてなんかいないじゃないか、というまさにその中で神が働いていたということはよくあることです。彼らは命を落とさずに、祈りも聞かれて、神によって奇跡的に助かったのです。