世界の隠れたベストセラー、聖書。
その中で、イエスキリストが弟子たちに、「何をしてほしいのですか。」と言っているところがあり
ます。
いったい、私たちは、神様に何をしてほしいのでしょう?何を望んでいるのでしょうか?
この言葉が、私の心に深く問いかけてきました。私は、神様に、何をしてほしいのだろうか?
皆さんは、何をしてほしいのですか?
イエスキリストは、私たちの罪のために、命を与え、身代わりに十字架にかかって、血を流し、死ん
でよみがえってくださりました。信じる者たちに、永遠の命を与え、私たちを今も深く愛してくださ
っています。
 ですから、今でも、私たちの望みをかなえてくださいます。これは本当です。
 しかし、私たちが、望んでいることは本当に素晴らしいことなのでしょうか?結局そこなんです。
深く問われてきたのは。私が、望んでいることは、何なのか?その望みの質を問われてしまいました
し、望みをよく見つめてみなければと、吟味してみなければと思わされました。
 具体的に言わないと、分かりにくいと思います。しかし、具体的にいうと、私の心の中を見られる
ようで、非常に恥ずかしいことなのです。でも、正直に言えば、例えば、「テレビに出て、イエス様
をたくさんの人に伝えられたらいいな。そしてたくさんの人がそれで信じたらいいのに。」と漠然と
、私はなんとなく思っていました。今も、そんな願いというのは、あるんです、心の中に。でも、決
してそんなテレビに出ることを、こだわってるわけではありませんよ。ところが、実際に出てみると
。全国版の超有名番組に、妻のお供で、出たのですけど、実現したのですけど何も、ほとんど伝えら
れなかったのです。いろいろ言ったにもかかわらず、すべて、カッートッ
宗教的と彼らが感ずるところは、すべてカット。それも、しかたないか、と思っていました、あちら
がカットしたのだから。しかし、要するに、私が、本当に望んでいたことは、「イエス様を伝えられ
たらいいな」、ということよりも、「テレビに出たかった」、ということの方が強かった、だから、
その望みがかなったということなのです。(だから、反省してテレビに出るのはやめましょう、とい
うことでは、決してありません。きっと、テレビに出て、私は多くの人にイエスキリストの愛を伝え
るでしょう。)
 いったい、私たちが望んでいることはどんなことなんでしょうか?一見、素晴らしいことや、い
いことを望んでいるようで、実は、それが自己中心的な部分の望みが強かったり、非常に肉的だっ
たりするかもしれません。あんまり、自分が望んでいることを、よく吟味したことがなかったかも
しれません。聖書のさっきの箇所では、弟子たちに、イエス様が、「あなた方は、自分が何を求め
ているのか、わかっていませんよ。」とたしなめられてしまっています。
 自分が望んでいることがいったいどういうことなのか、わからずに望んでしまったりするのが
私たちです。何を、私は、神様に望むのでしょうか。言い換えれば、どんなに素晴らしいことを
私たちは、心から望むことができるのでしょうか?