第二コリント4:18
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
いつまでも続くものを、私たちは求めるものですね。
コロナの病が、ゆるされて、こんなにも簡単に人間の社会や経済、またシステムが、混乱をきたすものなのか、驚いています。コロナなんてちょっとした病気に過ぎないと思うのです(もちろん、コロナに関しては十分注意しなければなりません)がしかし、本当に大きな影響が出て、大きく騒がれています。平和や安定した状態が続いていてもらいたいと私たちは切に願うものですね。だから、いつまでも続くものを求めるものです。
例えば、普通の人は、長生きしたいと思うだろうし、
「いや、私は、ひどく老化してまで長生きしたいとは思わない」
という人も、では、いつまでも若くありたいと思っているわけですね。
ようするに、「いつまでもこうでありたい」と、いずれも思っているわけです。
こんなことも言えます。「風と共に去りぬ」の映画で、感動的なエンディングで、「この世で唯一価値あるものは土地だけだ。土地は永遠に残る」と言っています。しかし、土地、大地さえも永遠ではないことが、
福島の、原発の問題で、明らかにされてきました。たくさんの方が、その土地に住めなくなって、大変な思いをされました。
科学者は、いつまでも変わらない法則を見出そうとして、科学を見出してきました。
いつまでもつづく物を、求めるのが人間の心理ですね。
しかし、聖書が言っているのは、目に見えるものは続かないよと言ってます。一時的です。普遍に見えた科学的な真理さえも実は、違っていたということがよくあるのです。科学も、私たちの五感で認識でき説明できるものですね。これは、いわゆる目に見えるものです。これは、変わります。
目に見えないものとは、私たちが、正確に測れないもの、形で明確に現せないものです。これは、かわらないと言っています。例えば、神の愛。変わりません。神ご自身。すべてのものをご支配していて、変わりません。
神の言葉、聖書は変わりません。何千年であろうといつの時代にも、色あせない、真理です。イエスキリストも変わらずに、今も私たちを助けてくださる方です。しかし、今、目に見えないのですね。目に見えないものは、変わらないのです。これらのものに、目を向けなければなりません。