向こうのクリスチャンが貧しい中で、神の勝利が現わされ、聖書を欲していることを聞いていると、聖書をなんとか献げたいと思う一心で、祈り、献げていました。この連載でも、返さなくていい、学校が始まってから、100周年記念の奨学金30万円が、与えられたというお話も書きました(雲の間にある虹出版、2020年5月号)。この時にも、すでに、このプログラムに関わっていました。ですから、献げることを通して与えられる神からの、祝福は大きいのですね。
ところが、その時は、どうしても約束している12/31までに、あと1万円足りなかったです。しかし、12月の29日には、実家に帰るという予定を立てていまして、人間的に頑張りすぎても良くないと、年末年始には、予定通り帰ったんですね。あと、一万円は不足だけど仕方ないと。そうしたら、めったに実家に来たことのない親戚の方が、30日に来ました。そして、大学生にもなっている、成人している私に、正月でもないのに、「お年玉あげる」というんですね。私の家庭や、親戚の間では、お年玉をあげたり、もらったりなんてことは、とっくの昔になくなっていて、小学生の時、ちょっとあったかな程度の記憶しかありませんでした。なのに「お年玉をくれる」というので、もらってお年玉の袋を覗くと、ちょうど1万円入っていました。なんといっても、一生懸命アルバイトして、祈りつつも、献金に1万円足りないという状況で、その日は12/30。金融機関は、12/31はもう休みで、振り込めないという1日前の12/30に、1万円が与えられました。それを深く感謝して郵便局で、振り込んだのを覚えています。手元には、何も残っていないにもかかわらず、生ける神の、祈りの答えをいただいて、深く感動し、喜んでささげたのを覚えています。
神は、尊い献げ物をするための、経済の求めの祈りは聞かれますし、素晴らしい生ける神の働きを体験させていただけるのです。ですから、予約献金というのも、祈りつつしていく中で、恵まれるんですね。