主は、私たちの教会の賛美に御心があることを、語ってくださっていて、今、
オーケストラのことなど、新たに導いてくださっていて感謝だと思います。
神様の臨在が、賛美礼拝において、強まっているなと思わされています。
そして、「獄中からの賛美」の漫画本が、雲の間にある虹出版から出たことも御心があると思って、読んでみました。そうすると、前から解ってはいたのですが、再び気づいたことがあります。それは、感謝は賛美の入り口であり、最終的な目標は、すべてを感謝して、賛美に至ることが重要だということです。目標と言っても、祈りの目標なのですが・・・。
祈っていくと、まず、悪いことが感謝できないという、状態があります。これをクリアして、まずとにかく、悪いことも祈りの上で、感謝し始めます。心は伴わなくてもです。
そして、徐々に、”感謝を拒否”の状態から心が変わり始めます。その次に、どういう状態に進むかというと、口先だけでも、神を讃える状態です。そこから、さらに、主は、素晴らしい方で、きっとまた素晴らしい事をなしてくださる、だから主をほめたたえます、という状態です。心から主を讃える状態に進みます。
これは、ある課題に関して、祈りが成功している時の話です。もちろん、私も、口先だけの感謝の祈りで、終わってしまう場合も、多々あります。
しかし成功した時は、感謝できない状態から始まって、口先の感謝、さらに、心からの感謝、そして、口先の賛美、さらに心からの賛美に変わるな、と思うのです。
感謝は、賛美に至る入り口です。
詩篇100編では、「感謝しつつ主の門に、賛美しつつ主の大庭に入れ」とあります。
これは、神殿は、神の臨在のあるところですが、そこに入る時、感謝をしつつ、臨在の入り口に入り、賛美をして、臨在の真っ只中に入るという意味だと思われます。
マーリンさんの本の題名は、「讃美の力」というのがありますが、「感謝の力」ではないなと思うのです。もちろん感謝をしていくだけで、力が与えられていきますが、「神様ありがとうございます、あなたは素晴らしいです」と感謝から、讃美に至るという流れがあります。「おー主よ、あなたをたたえます。」と心から自然に言えるのが、祈りの最終目標のように思えます。感謝と、賛美は似ているのですが、全く同じではないのです。
祈りの上で、賛美を心からできるように、それが、目標ですね。
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