ホテルで、スーツケースがないというのは、困ったもので、自分が今着ているものしかない、という状態です。今回は、機内にスーツケースを持ち込もうと、夫婦で、前もって決めていたにもかかわらず、みんながみんな、荷物を、預ける感じでしたので、人間的な不安にかられて、預けてしまいました。神様に祈ってどうするか聞いてみればよかったと後で思いましたが、やはり皆さんの行動に流されるのは、良くないですね。だから、手荷物に一泊ぐらいの、必要な、下着や靴下なども入れてなかったのです。
それでエルサレムのホテルに行って、意外と、寒かったのでお風呂に入って、体を温めてから、何をしたかというと、靴下などを、洗って、ドライヤーで乾かす、という作業でした。もちろん、そんなめんどくさいことしながらも、「そこは、マーリン・キャロザース」
感謝の祈りをしつつ、ドライヤーでした。
そうすると、何と、次の日だったと思いますが、靴下だけは、手荷物に入れていたという方から、一足の靴下をいただきました。ありがたや、ありがたやでした。一足の靴下が大変貴重に感じました。逆に、いつも、普通に、靴下があるということは、素晴らしい恵みなんだと、思う感じになりました。また、「この方は、よく、靴下を分かつなんて思いになるな」と、尊敬する思いというか、「私だったら、靴下があっても、照れて、差し出したりは、できないだろうな」とか、思わされました。神に感謝をしていると、荷物が出てこなかったがゆえに、荷物が、飛行機から普通に出てきていたことは素晴らしいことだったことが思わされたり、物がない時の不便さのゆえに、荷物が後から出てきた時、本当に荷物があることの、恵みを強く感じました。また、神に、感謝をしていると、靴下をもらった時の、嬉しさを体験できたり、その方から、靴下を頂いた時の、感動を体験できました。
こういうことを、書くと、「本当に、そう思ってんの」と疑われるかもしれませんが、本当に、私は、そう感じ、神に感謝をしている時の、ある恵みを感じていました。もちろん、
不便さを感じて、つぶやきもあるのですが、感謝をしている時の恵みも心で感じていました。
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