長血の女の箇所を、こないだのメッセージで、パウロ牧師が
お話していました。
その箇所から、ボロジャ牧師が、夏にメッセージしていたのを
思い起こしました。
長血の女性が、いやしをいただくときに、信仰を働かせたわけですが
その現れは、イエス様に群衆の中でとにかく触れるということでした。
その女性にとっては、イエス様に触ることは、非常に難しいことだった
と思われます。たくさんの群衆がいたからです。(レビ記15:25)
彼女の行動は、たくさんの人に、迷惑だったのです。
しかし、なんとか、衣に触りさえすればいやされる、と信じていて、
夢中だったのです。触った瞬間に彼女はいやされたのです。
人を押しのけてでも。でも、それが、彼女の信仰の姿勢による現れでした。
ボロジャ牧師も、ウクライナの状況が、悪いにもかかわらず、
日本に来ることが、神に今、従うことであると信じて、白馬にやってきました。
それは、夢中だった、長血の女性と似ています。
なんとしてでも、白馬に来る、そして、イエス様に触れることが、
彼の目標でした。
ですから、彼は、与えられた持ち時間は20分のメッセージが、40分か、
50分ぐらいお話しました。いつ終わるのかと、ハラハラしたぐらいです。
でもそれが、彼の信仰の姿勢でした。
その後、いやしの祈りの時間が、持たれました。その日は前日の
倍か、それ以上の人々が、いやしを求めて、並びました。
あまりに、たくさんでしたので、私もびっくりしました。
それは、ボロジャ牧師のメッセージに、影響されたからです。
みなさん、熱心に、いやしを求めていたのです。
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