そこで、彼らは、一緒に集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとかどんなときとかいうことは、あなた方は知らなくても良いのです。それは、父がご自分の権威を持ってお定めになっています。
1:6、7
弟子たちは、モーセのような、イスラエルの国民を解放してくださる救世主(つまりメシア、キリスト)を待っていたわけですね。十字架にかかる前に、イエス様こそ、そのメシヤ
であると、思っていたので、エルサレムにイエス様が入場するとき、民衆が、大歓迎したのはそういうバックがあるわけです。イスラエルは、ローマの植民地でしたから、その圧制から解放してくださる方、特別な王。弟子たちも、そういう理解でした。だから、イエス様のそばにいれば、自分たちも、大臣になれるのでは、そんな感覚だったかもしれません。
ですから、道々、誰が一番偉いかと、論じ合っていたりしました(マルコ9:34)。
マルコの9:31など見ますと、人の子は引き渡され、三日目によみがえると言われても、
どういうことなのか全く理解することはできませんでした。罪を負ってくださる救世主、という真の理解に至りませんでした。
だから、十字架で殺されてしまった時、本当にがっかりしたと思いますし、国民を救い出す方は、いなくなってしまった。まさか、主がよみがえるなんて、信じれていなかったのですね。本当に、ものすごい、失望していたと思います。ですから、イエス様が、よみがえった時、「驚いた、驚いた。」でした。それで、「今こそ、国を再興してくださるのですか」という告白になったのですね。ですから、この告白は、本気、本気ですね。
なのに、なのに、主は、不思議なことを言うわけです。「いつとか、知らなくていい」
どうしてですか?今でしょう。今こそ、でしょう。
ここから、約2000年弱、イスラエルの国は、復興しません。ところが、1948年に、イスラエルの人たちが待ち望んだ、イスラエルの国が本当に起こされたのです。ですから、国を起こす計画は本当に神の側にあったのです。ものすごい奇跡でした。神は真実です。
神の計画は、神の側にあって、私たちはそれを十分わかっていないかもしれません。
でも、神は真実で、決して私たちへの約束をたがえる方ではありません。
私たちも、30年ほど前に、リバイバルは、今にも来ると思っていた時期がありました。
ところが、ある日、神様が、「今やっと、リバイバルの山のふもとにつきました。」と言われたことがありました。「えーっ、まだふもとですか。」私たちは、もうだいぶ待ったと思っていました。でも今や、神は頂上付近に来ていることを、語ってくださっています。でも、ここまで来るのに、39年ほどかかっています。
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