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今日、礼拝の帰りがけに、初めて殉教聖会にでたという方と、お話ししました。
殉教聖会の日、すごい、雪、雨、雹、風、みぞれとすごい集会でしたので、終わると、
どんな人が出ているか見ている暇もなく、早々に、ホテルに退散しました。
ですから、初めて出たというAさんを、確認することもなかったわけです。
それで、Aさんから、殉教聖会に出席していたという事を聞いて、思わず、
「それは、素晴らしいです。今回の殉教聖会に出たのは、特別な祝福ですよ。」
と言ってしまいました。でも、あれ、言ってることが変だなと、思いながら
言ってました。
いや、変ではなくて、本当に、心から、本当に祝福だと思っていっているのです。
普通なら、「最悪の天候の集会で、初めて出たのに、最悪でしたね。」というでしょう。
でもそうではなかったのです。
この集会は、本当に人間的にはひどいものでしたが、信仰的には、本当に
素晴らしい集会でした。あんなひどい天候なのに、人々が、その集会にで続けて
いたからです。その集会で、神が働いておられ、神が語っておられ、そこに
特別な、神の祝福があると、みなさん信じていたからです。
そうすると、何が一番いい集会なのか、人間的には、計れなくなりますね。
今日、パウロ秋元牧師が、ジャッキーの殉教のあとの、泣きながら
感謝と賛美をした集会が、最高の集会だったと、言ってました。
今日、私、担当の祈りのセミナーで、感謝の祈りのお話のところでした。
証にどんなお話をしたらいいか、と、神様に聞いたら、
ジャッキーとジュリエッタが、殉教後の、刑務所での感謝と賛美の集会の
話をするように言われたのです。だから、その話をしました。
やはり、そのことは、神から来ていたのだと思いました。
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