以前、関わっていた団体で、学生の頃、予約献金というのをやっていたことがありました。”共産圏の方々に聖書を届けるため”というプログラムの中で、献金をしていたのです。「12月31日までにX万円を献金します」と紙に書いて、献金の約束を提出していました。これは手元にはなくても、約束して、予約の献金というわけです。そして神様の前で、約束しますから、一生懸命、学生なのに、お金もないけど、アルバイトして献げたものです。ですから、まるでこれだと、はたから見ると、とても大変じゃないか、なんて思う方がいるかも知れません。ところが、これで神様の生ける働きを見れて恵まれるのです。IIコリント9:5に約束献金の事柄が出てきます。
「そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなた方の贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。」これは、聖書的な、献金の一つの手段なんです。祈って、献げていこうとするときに、献げるお金が不思議に与えられてきます。
向こうのクリスチャンが貧しい中で、神の勝利が現わされ、聖書を欲していることを聞いていると、聖書をなんとか献げたいと思う一心で、祈り、献げていました。この連載でも、返さなくていい、学校が始まってから、100周年記念の奨学金30万円が、与えられたというお話も書きました(雲の間にある虹出版、2020年5月号)。この時にも、すでに、このプログラムに関わっていました。ですから、献げることを通して与えられる神からの、祝福は大きいのですね。
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