ところが、同労者のいない日曜日に、礼拝を終えた後、個人的にちょうど3万円の特別な収入が入ってきました。確かに、
祈りは聞かれ、家賃代は払えて、「プレイザロード、神様ありがとう」のはずでした。が、私は、ベトナムに行けず、彼は、イスラエルに行っている。私の個人的な収入を、全部献げて、彼は、家賃代の協力はなし。この状況が、なんとも言えず、不満でした。その中で、自分の役割をちゃんと果たすかどうか、そして、それでも、ベトナム行きのチームに加われることを、信じるかどうか、試されてしまったのです。しかし当然家賃は私が支払うしかなかったので、それを教会の事務所の家賃代として、献げざるを得なくなってしまいました。ぶつぶついいたくなる所を、心からではありませんが、神に感謝の祈りをささげつつ、そのお金を教会に献げさせられました。
そうしたらなんと、その10倍程のお金がその後、与えられて、ベトナム行きの経済が満たされ、祈りが聞かれてきたのです。神は私をベトナムに行かせたかったので、その十分の一献金として、先に3万円を献げさせたのです。結局、このタイミングで、経済が与えられたことがポイントとなって、ベトナムに行くことになり、とても祝福されました。教会に3万円を献げたことが、益となって、10倍になって返ってきました。もし、強制的に私が献げるしかない状況にならなかったら、3万円を献げるなんてことを私はしなかったでしょう。
「経済がない」という思いが先行していると、御心を行えませんが、神を第一とし、「神の御心はどうか?」ということを第一としていると、経済も豊かに与えられていきます。そして、御心を行おうとするための、祈りは、明確に聞かれていくので、この祈りを進めてみてください。
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