そして、お金がいただけるということで、「うますぎる話ではないか。」と疑う一方、「でも、もし祈りの答えだとしたら。」と思うこともありました。実は、何日か前に、お金の必要のことを強く祈ったばかりでした。何を祈ったかというと、イスラエル行きのお金、臨時収入を求めていたのです。結局、どうも祈りの答えではないかということで、お話を受けたのです。そして、祈りつつ、御心ではないとわかればやめましょうと、思いを抱きつつ進んでみました。
何人かのゴスペルクラブのメンバーを、ご紹介したりもしました。でも、病院に行って、お腹の様子を調べたり、それから、家の中でカメラを設置して何日間も、映像を撮るんだとか、そういう具体的な話が進んでいくうちに、結局、紹介した方の中で残ったのはハンナ(私の奥さん)だけになりました。テレビで出るためには、お通じの調子もある程度、あまり良くないとハッキリとしてなくてはならないし、お医者さんのアドバイスの結果も、ハッキリと効果が出てないといけないのですね。ですから、その進んで行く課程でハンナが残ったのは、神がそうしてくださったという感じでした。ふりかえってみると、電話がテレビの方からくる1ヶ月前に、妻のお通じがよくなるように強く祈ったという出来事もありました。
ですから、名医のアドバイスを聞けるというのも、神の恵みでした。普通は、診療を受けるのに何ヶ月も待たされる超有名な名医でした。この結果、本当に、ハンナはお通じが改善して素晴らしく良くなったのです。しかも、祈りの答えとして、イスラエル行きの飛行機代ほどのお金が与えられました。ですから、経済が与えられ、しかも、体調が良くなり、本当に神様の恵みが現されました。祈っているのに、祈りの答えと、気づかないことは、よくある出来事です。ですから、祈ることと、ともに、よく、神に耳を傾けていただきたいです。祈るなら、きっと、恵みを受けられるのです。
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